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2024/05/19 09:46 |
第6回 ロアルド・ダール、創作の秘密(ロアルド・ダール)

第6回 ロアルド・ダール、創作の秘密

(ロアルド・ダール)

今回はお待ちかね(?)、ロアルド・ダールの話。ここで彼の定評ある短編小説や世界中でよく売れる童話作品について書くのも芸がないので、ちょっと違った角度からダールという作家を眺めてみたい。

「キス・キス」(「異色作家短篇集 改訂版」第1巻、1974年9月、早川書房刊)はダールの第3短編集。扉に「この本をP・N・Dにおくる」と献辞がある。訳者の開高健はそれについて一言も触れていないが、このイニシャルがパトリシア・ニール・ダールの略であるのは間違いない。
パトリシア・ニール。1926年、ケンタッキー州生まれの女優。ブロードウェイから映画界に転じ、ゲーリー・クーパーと共演した1949年の「摩天楼」で世間に広く知られるようになった。それによってクーパーとの恋愛関係も明るみに出た。クーパーには妻がいたので不倫である。やがてクーパーの子を妊娠し、中絶したニールは全米マスコミの袋叩きにあい、クーパーと別れた。仕事も来なくなった失意のニールがロアルド・ダールと出会ったのはそんなときだった。2人は1953年にニューヨークで結婚する。

この1953年は、年譜を見るとダールが第2短編集「あなたに似た人」を出版した年に当たる。しかし「あなたに似た人」にはニールへの献辞がない。ニールの書いた「真実 パトリシア・ニール自伝」(兼武進訳、1990年6月、新潮社刊)には「あなたに似た人」出版直前のくだりがこう書かれている。

「ロアルドは便箋を持って来た。そのころ『あなたに似た人』という短編小説集を用意していたからだった。その日の夜、彼はこの本をわたし(注・ニール)に献呈したいといったが、わたしは辞退して、それはチャールズ・マーシュ(注・ダールの知人の裕福な老紳士)に献呈すべきだといった。こういう儀礼を受ける気はなかったし、それに、彼がその本を出せるのはチャールズのおかげだと思ったからだ」

結婚した2人は幸せな家庭生活を送り、子供も授かった。1960年にダールは第3短編集「キス・キス」をまとめる。ニールの自伝にはこうある。
「彼はそのころ、雑誌に寄稿した物語を本にまとめていて、タイトルを考えていた。「君の友達のジーン(注・女優のジーン・ヘイゲン)とご主人、ふたりの間の電話のこと、覚えてるかい。『キス・キス』だったね。あれはとびきりいいタイトルになると、前から思ってたんだ。パット、この本は君に献呈するよ」今度はわたしに不満のあろうはずもなかった。わたしはとても嬉しかった」

以下、ダール作品に関する記述を自伝から引けば……
「ロアルドは前より忙しくなっていて、児童向けの初めての本『おばけ桃の冒険』を執筆していた。彼は物語を練るのに、絶対確実な方法を採用していた。つまり、自分の子供たちに読んで聞かせ、もう一回聞きたがったら、成功間違いなしと判断するのだ。この本はオリヴィアとテッサ(注・ダールとニールの子供)に捧げられることになっていた」(注・「おばけ桃の冒険」出版は1961年)

「ロアルドがプロデューサーのカッビー・ブロッコーリからジェイムズ・ボンドの次回作の台本を頼まれた。経済的に一番困っていたときだったから、ロアルドはふたつ返事で引き受けた。映画のシナリオを書くのは短編の物語よりは難しくないと考えているようで、自分の書いた原稿が、料金向こう持ち、専属運転手つきのロールスロイスでロンドンに運ばれていくのが大いに気に入っていた」(注・映画「007は二度死ぬ」公開は1967年)
「ここ数年、ロアルドの仕事はきわめて順調だった。お金もよく入るようになった。子供向けの本は書くたびに各国で好評を博し、この1969年には『チョコレート工場の秘密』の映画化権も売れた」

このほか、停滞していたニールの女優の仕事のために、1971年に映画「ナイト・ディッガー」や、「脳卒中に打ち勝つ」というテレビドキュメンタリーの台本もダールは書いている(ニールは1965年に脳卒中を起こしている)。1983年にダールの浮気が原因で2人は離婚するが、それまでダールはまさにニールと夫唱婦随、貧しい時代もお互いに支え合ってきた。子供たちにとっても良き家庭人、良きパパであった。

なぜダールのようなすぐれた短編小説を書いていた作家が、突如として畑違いと思われる児童文学や映画の脚本に手を出し始めたのか。ニールの自伝は、作品からだけではうかがえないダールの創作の秘密の一端をわれわれに教えてくれる。

ただしニールは、劇作家リリアン・ヘルマンのこんな厳しいダール評も自伝で紹介している。「なんにでも一家言のあるリリアンだったが、ロアルドについては口をつぐんだままだった。ただ、一度だけ、ロアルドの書くものを大して買っていないというのを聞いたことがある」(こや)


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2011/02/19 12:59 |
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