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2024/05/02 07:02 |
第7回 チェスタトンと「見えない人」(ギルバート・キース・チェスタトン)

第7回 チェスタトンと「見えない人」

(ギルバート・キース・チェスタトン)

イギリスの作家、批評家のギルバート・キース・チェスタトン。1874年、ロンドンのケンジントンに生まれ、1936年に没した。数々の作品を残したが、何といっても著名なのは短編推理小説の古典「ブラウン神父」シリーズである。いかにも冴えない容貌のカトリック教会の神父ブラウンが、人並み外れた慧眼と論理で難事件の謎を解いていく。その意外性が面白い。おそらく推理小説史上、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズと双璧をなすほど有名なキャラクターであろう。

 このブラウン神父シリーズについて、面白いことを言っている人がいる。SFの翻訳家で小説も書いている鏡明である。その鏡の言い分を、卓越した批評家でありエッセイストであった故・瀬戸川猛資があるエッセー(「夜明けの睡魔」所収、1999年5月、創元ライブラリ刊)で紹介していた。「彼(鏡)はチェスタトンが嫌いである。とりわけ、ブラウン神父ものの代表的短編である『見えない人』を、『あんな愚作はない』といってけなす」

 「見えない人」はこんな話である(以下、ストーリーに触れているので未読の方はご注意を)。ある男が家の中で殺される。この家を4人の男が見張っていたが、誰一人、出入りしたものはなかったと証言する。透明人間の犯罪か、と思われたところに登場したブラウン神父が、「みんなが見ていながら心理的に見えない人間」、すなわち郵便配達夫の犯行だった、と看破する。「江戸川乱歩をしてブラウン神父物のベストワンといわしめ、本格ファンの聖典とまで呼ばれるこの名作中の名作に対して、おそれおおくも鏡氏は悪口雑言を並べ立てるのだ。その理由がおもしろい」と瀬戸川は書く。「あんなバカな話があるかよ。だってね、おれ(鏡)んちの隣に空巣が入ったことがあるのよ。そんとき、近所の連中がなんといったと思う? みんな口をそろえて『郵便屋さんが怪しい!』っていいだしたんだぜ。それで、本当に警察に連れてかれちゃったんだ。結局はまちがいだったらしいけどさ」

 この鏡の発言に関して、瀬戸川は「なるほど、とわたしは感心してしまった。具体的で説得力があり、本格推理小説の問題点と魅力を同時に衝いている」と指摘し、次のように解説する。「郵便屋さんが実際に“見えない”などということはありえない。むしろ“見え見えの人”というべきだろう。“見えない”のは、実は読者に対してなのである。なぜなら、本格物の読者は、あくまでも架空の物語としてこの小説を楽しんでいるからだ。架空であるからこそ、郵便配達夫のごとき現実的な人物が犯人のはずはない、と心のどこかで考えているのである」瀬戸川の意見しかり、鏡の言い分しかり。かたや絵空事だから面白いといい、かたや絵空事だからけしからんという。トリックと論理に基づくブラウン神父ものを書き続けたチェスタトンにとって、物語が絵空事という指摘はむしろ最高の評価に当たるのではないか。

 しかし待てよ、と思う。ここで郵便配達夫の歴史と存在そのものについても考えるべきではないのか。21世紀の日本に生きる鏡にしろ、21世紀を迎える前に鬼籍に入った瀬戸川にしろ、郵便配達夫をきわめて現実的な「見え見え」の人物と考えている。ではチェスタトンの生きた19世紀末から20世紀初頭のイギリスでは、郵便配達夫はどんな立場にあったか。

 郵便事業の発展はイギリスを抜きにして語れない。従来、ほとんどの国の郵便事業には①国王の伝達②商業用郵便③国民用郵便の3種類があったとされている。このうち①は官営システム、②③は民営システムがおおむね担っていた。江戸時代の日本でいえば民営システムは飛脚に当たる。イギリスでもずっと官民混在の状態が続いていたが、1677年に民間の請負制度を廃止。1688年の名誉革命以降、郵便事業収入は国家財政に組み入れられた(諸説あり)。ところが利用者が限られ、国家負担が増えていったため、経費節減案として、1840年に新式郵便制度が発足した、とものの本は書いている。それに伴い、料金前納制や均一料金制の実施、郵便切手の導入、郵便ポストの設置などが始まる。つまりは郵便事業が広範囲化、大衆化したわけで、利用者が激増し、全土に郵便を届ける郵便配達夫の需要も飛躍的に増大した。これは推測だが、おそらく郵便配達夫はいくら人手があっても足りないという状態だったに違いない。「見えない人」の犯人のような素性の確かでないものも次々に採用された、という背景があったのではないか。

 チェスタトンは1874年に生まれている。イギリスに新式郵便制度が確立され、それがすっかり大衆に浸透した後である。生家は裕福な不動産業者だったから、郵便配達夫が商業用郵便や一般郵便などを頻繁に届けにくるような環境にあったはずである。そんなチェスタトンにとって、郵便配達夫は本当にありきたりな見慣れた人物、つまり「見えない人」だっただろう。「見えない人」が収められた「ブラウン神父の童心」は1911年に刊行されているが、この短編が当時から名作とされたかどうかには疑問が残る。郵便配達夫を始めとして労働者などの一般大衆がこの短編を読めば、すぐに犯人を見破ったかもしれないし、郵便配達夫が「見えない人」という論理にはやはり違和感(反発?)を覚えたかもしれない。上流知識階級に属する作家チェスタトンの書いた“高級娯楽”の推理小説などは、当時の一般大衆はあまり読まなかったのではないかと思うけれども。(こや)

ギルバート・ケイス・チェスタートンをWIKI PEDEIAで調べる

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2011/03/15 14:56 |
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