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2024/04/27 10:51 |
第55回 「細い線」のミステリー?(エドワード・アタイヤ)

第55回 「細い線」のミステリー?(エドワード・アタイヤ)

 「男はたったいま1人の女を殺してきた、何の動機もなく、親友の妻を! 不安に怯えるというより、何も感ずることができないほど男の心は虚ろだった」――エドワード・アタイヤ「細い線」(文村潤訳、1977年5月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)の裏表紙の紹介文はこんな書き出しで始まる
(以下、ストーリーに触れるので未読の方はご注意を)。

 女の死体はすぐに発見されるが、執拗なはずの警察の捜査の手がなぜか男には及ばない。「捕まることへの怖れよりも、このまま行けば完全犯罪が成立してしまうという現実が男の心を圧迫しはじめた。誰かに告白したい!」。
 男は耐え兼ねて自らの犯罪を吐露するが、打ち明けられた妻も親友も警察には伝えない。夫の被害妄想を疑ったり、殺された妻の身持ちの悪さを非難したりするばかり。男はついに自首を決意する。そうなったら家庭はめちゃくちゃになる。妻は夫を青酸カリで殺害、その死はノイローゼの果ての自殺として処理された。

 わが国の成瀬巳喜男監督(1966年、「女の中にいる他人」)、フランスのクロード・シャブロル監督(1971年、日本未公開)という名匠によって映画化されているほどだから、「細い線」(原著1951年刊)は紛れもなく世界ミステリー史上に残る名作である。が、成瀬の作品は男を演じた小林桂樹よりも、むしろ妻を演じた新珠三千代のほうが光る女性映画となっていた。
 果たして「細い線」をミステリー小説と呼んでいいのだろうか。そんなことを考えていた折、評論家・杉江末恋の刺激的なブックレビュー集「路地裏の迷宮踏査」(2014年6月、東京創元社刊)に収められている「アタイヤにつながる線」を読んで驚いた。エドワード・アタイヤの知られざる側面が書かれていたのである。

 「数学のノーベル賞」としてよく知られているフィールズ賞。この賞を1966年に受賞したマイケル・F・アティヤ卿という人がいる。現代最高の数学者の1人であることは間違いなく、1983年にはイギリス王室からナイトの称号も贈られている。このマイケルの父が、「細い線」を書いたアタイヤその人だったのである。アラブ言語圏の発音でより正確に表記すれば、1903年生まれのレバノン出身の歴史研究家、エドワード・アティヤとなる。杉江はこう記している。

 「アタイヤには『細い線』のほかにも犯罪小説の著書が複数あるが、一般的には自伝An Arab Tells His Story(1946年)と、アラブ諸国の歴史風土を綴ったルポルタージュThe Arabs(1955年)の作者として知られている。特に後者は、1948年に起きたパレスチナ難民の国外大量脱出が、パレスチナ人の自発的な選択によるものか、イスラエル軍による迫害によって引き起こされたものかという論争の、重要な論拠として扱われた。
 アタイヤは同書で、イスラエル軍による大虐殺があったことを指摘したのである」。さらに杉江は彼について「戦後になってアラブ諸国の政治的協力機構であるアラブ連盟のロンドン・オフィスに職を得て、以降はイギリスに定着した」とも書いている。アタイヤのこんな側面は、アラブ問題に詳しい専門家以外、わが国でほとんど知られていないはずである。

 振り返ってみれば、「細い線」を日本に最初に紹介したのは江戸川乱歩だった。1953年2月号の中央公論に掲載した「最近の英米探偵小説」の一節にこうある
 ――「エドワード・アタイヤの『細い線』について記すと、著者アタイヤはシリヤ人で(中略)この作は彼の処女作である。これも『サスペンス小説』と銘うたれているもので、純探偵小説ではなく、殺人犯人の恐怖を描いた犯罪心理小説だが、そういうものとして相当の感銘を受けた。新分野を開拓したというようなものではなく、従来からある型にはちがいないが、テーマが異常で、書き方も清新であり、サスペンスがきわめて強く、近来になくおもしろく読んだ」。
 あの乱歩がアタイヤと書けばアタイヤになる。レバノン人でなくシリヤ人と書けばシリヤ人にもなるだろう。「細い線」について、わが国では長年にわたって「犯罪心理小説」「サスペンス小説」という乱歩の説が踏襲されてきたわけである。
 「細い線」は、余技といっては言い過ぎだが、要するにミステリーが本業ではないアラブ問題の専門家エドワード・アティヤが書いた小説だったのだ。その点を考慮すれば、ちょっとうがった見方ができないこともない。

 「細い線」というタイトルは作中、男が妻に告白する次の言葉から取られている――「どこかに僕の越えた細い線があるような気がしているんだ、幻想と現実との間にある、ごく細い線が、恐ろしく大事な線がね。そして、それをどうして越えてしまったのか、僕にはわからない。それにしても、それを越えることはいともやさしかったように思える。今線のこちら側にいたかと思うと、次の瞬間には向こう側におり、そのときには彼女は死んでいたんだ」。
 原題はTHE THIN LINEという。人間の犯罪心理の中にある「線」について語られているので、「細い線」の訳題に誤りはないが、LINEには「国境線」の意味もある。
 1948年2月、エドワード・アティヤも所属していたアラブ連盟の加盟国がカイロでイスラエル建国の阻止を決議し、それをきっかけに内戦が勃発、やがて第一次中東戦争につながっていく。アティヤの1955年の著作はその辺の事情に迫ったルポルタージュだった。それに先立つ1951年の小説のタイトルが「細い線」である。そこには「細い国境線」を越えて、紛争の渦中にあった「パレスチナ・イスラエル問題」の意味が、まさしく込められていたのではないだろうか。(こや)


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2015/03/02 13:23 |
コラム「たまたま本の話」

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