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2024/04/26 09:08 |
第56回 キャラメルが運んできた文化(カバヤ児童文庫)

 岡山といえば、1964年から現在まで50年以上にわたって「岡山文庫」を発行し続けている文教県である。同文庫には「岡山の植物」や「岡山の俳句」などの書名が並び、自然と文化のライブラリーとなっているが、昨年そのラインナップに素晴らしい1冊が加わった。
 岡山県立図書館副館長の岡長平が書いた「カバヤ児童文庫の世界」(2014年2月、日本文教出版株式会社刊)。戦後の子ども文化史にその名を刻む「カバヤ児童文庫」について詳細な研究を試みた労作である。以下、同書を参考に、カバヤ児童文庫の概要を見ていきたい。
 カバヤ児童文庫は、1952年(昭和27年)8月から1954年(昭和29年)5月まで、わずか2年足らずの間に174冊(実物未確認の巻が未刊だったとすれば131冊という説を岡は述べている)を週刊ペースで刊行した児童向け文学全集だった。1冊あたりの発行部数は最低5万部で、人気の号については50万部を超え、総発行部数は2500万部に達したという。本来なら、講談社の「世界名作全集」(1952年~1962年、全180巻)や偕成社の「世界名作文庫」(1950年~1956年、全140巻)と肩を並べる、日本の児童文学出版史上、特筆すべき大事業だった。ところが意外に知られていないのは、これは岡山県の菓子メーカー「カバヤ食品」がキャラメルの景品として作ったシリーズだったから。書店で扱われる出版物ではなかったのである。
 カバヤ食品は1946年(昭和21年)、岡山県で創業された。明治時代に開業した水あめ製造業「林原商店」社長の林原一郎と、岡山駅前で喫茶店「河馬屋」を経営する前田政二が、店舗の裏でキャラメルやキャンディーなどの菓子製造販売を始めたのが最初である(社名もそこから来ている)。敗戦間もない昭和21年当時、キャラメルは国の統制品で、進駐軍の特需品か都道府県の配給品として供給されるのみだった。日本人は甘いものに飢えていた。
 1949年(昭和24年)に水あめの統制が撤廃され、キャラメルが自由販売になると、たちまち200メーカーもの零細業者が乱立した。しかしそれらの業者も、砂糖の規制撤廃によってキャラメル生産が過剰になったため、淘汰されていく。
 残ったメーカーは大手のグリコや森永製菓、明治製菓などを除けば数えるほどになった。西のカバヤ食品と東の紅梅製菓はその中でも頭一つ抜きん出た存在だったが、先細りになるキャラメルの販売促進を図るためには何か手立てを考えないとならない。そこでカバヤ食品が考えたのは、キャラメルを買うとおまけに本がもらえる、というキャンペーンだった。岡は著書で次のように書いている。

 「昭和27(1952)年4月、カバヤ食品に宣伝課長としてスカウトされ入社した原敏は、知り合いの日本写真印刷の役員から『キャラメルの景品として本をやってはどうか』というアドバイスを受けた。当時は多くの業者が、キャラメルの販売促進のため熾烈な景品合戦を展開していたが、それらは、カードを集めるとキャラメルがもう一つもらえるというもので、そのことが子どもたちの射幸心を煽ると、学校や保護者から不評だった。
 しかし『本』なら学校を味方にできるのではないか―。しかも、子どもたちに本を読ませることができる。そう考えた原は、社長の林原一郎に相談し、即決で了承を得た。京都の日本写真印刷内にカバヤ児童文化研究所を設けて、原が常務理事事務局長となり、できあがった本をカバヤ食品が買い取るという格好にした」
 了承を得たはいいが、ここからカバヤ児童文庫編集者・原の経費節減への努力が始まる。本の体裁はB6判125ページのハードカバーで統一。キャラメルの景品であっても、子どもたちにきちんとした本を与えたかったからだが、1冊の文庫原価30円(以下、値段は当時)を捻出するため、キャラメルを薄く削って小さくして生産原価を抑えたという。
 原稿料については、児童文学作家にオリジナル作品を依頼することなどとても無理。そこですでに著作権の切れた世界の名作のリライトなら学生アルバイトでもできるし、経費も最低限に抑えられる。400字詰め原稿用紙100枚で1冊として原稿料は2万円、表紙イラストがカラーで1万円、本文中の挿絵も1万円――その条件で書き手を募集したところ、文学志望の青年や学校の教員たちから執筆希望が殺到した。
 「『作』も『画』もすべて匿名で、カバヤ児童文化研究所の編集という格好にしたため、今となっては書き手が誰だったかを知るすべもない」と岡は書いている。

 キャラメルが運んでくる文化、カバヤ児童文庫はこうしてスタートした。岡の書いた詳細な作品解説によれば、1952年8月3日発行の第1巻第1号はシャルル・ペロー原作の「シンデレラひめ」である。「ペロー童話集」から表題作と「もりのなかのねむりひめ」「おやゆびこぞう」の3編を収録している。その後、カルロ・コッローディ「ピノキオの冒険」、エドモンド・デ・アミーチス「母をたずねて クオレより」、マーク・トウェイン「乞食と王子」、ヤーコブ&ウィルヘルムのグリム兄弟「しらゆきひめ」など名作中の名作が続き、現存を確認できる最後の号
 ――1954年5月9日発行の第12巻第3号のルイザ・メイ・オルコット「花の少女」で、カバヤ児童文庫は2年弱の歴史に幕を閉じる。
 ちなみに日本文学は第2巻第1号の「たけとり物語」が最初で、あとは森鷗外「安寿姫」と曲亭馬琴「里見八犬伝」しかない。カバヤ児童文庫は世界の名作のリライトシリーズだったわけである。それは海外文化への憧憬というよりも、日本のイキのいい近代文学を使うことが出来ない、経費節減という制約のなせる業だったかもしれない。(こや)


カバヤ食品をWIKI PEDEIAで調べる

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2015/04/07 13:31 |
コラム「たまたま本の話」

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