第57回 「赤毛連盟」とウイリアム・モリス(アーサー・コナン・ドイル)

英米文学の名翻訳家だった大久保康雄の手になる「シャーロック・ホームズの冒険」(アーサー・コナン・ドイル著)が、このたび活字が大きく読みやすいトールサイズの上下分冊となって再刊された(2015年4月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)。大久保は1987年に没しているから、「新訳」という訳にはいかない。「新版」、つまり1981年6月に同文庫で刊行されたものの新装版であるが、今回読み返してみて、21世紀の今日でも全く古びていない大久保の邦訳に改めて驚かされた。

名作を名訳で読み返すと、かつて気づかなかった色々なことが見えてくる。例えばホームズものの中でも1、2を争う傑作とされる「赤毛連盟」。エラリー・クイーンが1946年に選んだミステリ短編ベストテンで2位。同じくクイーンが1950年に選んだ、いわゆる「黄金の12」で3位。江戸川乱歩の英米短編傑作集計で6位。同じく乱歩の有名な短編ベストテン「奇妙な味に重きを置くもの」でも3位に選ばれた傑作中の傑作だが、作中にこんな会話があることに初めて気づいた。

ストーリーはあまりにも有名だからあえて繰り返さないが、赤毛連盟の欠員募集の広告に応じた赤毛の質屋ジェイベズ・ウィルスンが、事務所で「大英百科事典」をAの項から順に筆記する名目だけの仕事を週4ポンドで請け負う。連日、順調に筆記を続けていたウィルスンだったが、ある日突然、赤毛連盟解散の貼り紙が事務所のドアにあった。驚いた彼が、1階に住んでいる家主の計理士の元を訪ねる場面である。
「赤毛連盟の解散のいきさつをたずねると、そんな団体のことなんか聞いたこともない、というんです。ではダンカン・ロスという男を知っているかとたずねると、そんな名前は聞いたことがない、という返事です。
『あの、ほら、4号室の紳士ですよ』と、わしは言いました。
『ああ、あの髪の毛の赤い人ですか?』
『そうです』
『あの人はウイリアム・モリスといって、弁護士です。新しい事務所ができあがるまで、一時しのぎに、ここの部屋を使っていたんです。昨日、引っ越しましたよ』」。

ここで唐突に出てくるウイリアム・モリス(William Morris)の名前。「この」モリスは「あの」モリスのことだろうか? どうもそうらしいのである。
1834年、イギリスに生まれ、詩人、デザイナー、マルクス主義者など多くの分野で活躍、1896年に没したウイリアム・モリスは、1859年生まれのコナン・ドイルよりも25歳ほど年長だが、同じく19世紀イギリスの卓越した知識人と言っていい。
「赤毛連盟」などドイルの読み切り短編が「ストランド・マガジン」に連載されていた1891年といえば、すでに晩年に差し掛かっていたモリスはケルムスコットプレスを設立、美しい装丁の書物を出版するなど、モダンデザインの先駆けとなる分野で活躍していた時期に当たる。それにしても、このモリスの名前が、なぜシャーロック・ホームズの1編に場違いのように登場するのか。

ここに興味深い研究があるので紹介したい。「アイリッシュ・フランケンシュタインと『赤毛同盟』:コナン・ドイルとアイルランド問題」。岐阜聖徳学園大学外国語学部教授の角田信恵が2011年に「岐阜聖徳学園大学紀要<外国語学部編>」に掲載した論文である。
角田はこの「赤毛連盟」(角田は「赤毛同盟」としている)の物語をいろいろな角度から読み解いている。いわく――「『赤毛』と『質屋』という特徴は、そのままアイルランド系とユダヤ系を連想させる」「赤毛同盟(The Red‐Headed League)という言葉自体が(中略)当時のさまざまな政治団体の名称が示すように(中略)政治的な結社にこそふさわしいものであった」「テクストの暗示のレベルは、この同盟が秘密結社であったであろうことをほのめかす。ホームズはウィルスンに彼がフリーメイスンの会員であることを当ててみせる」など、鋭い指摘が随所に見られるが、中でも次のウイリアム・モリスをめぐる分析には舌を巻く。
「ダンカン・ロスが赤毛同盟の事務所の家主にウイリアム・モリスと名乗っていたことの意味もここにある。1883年にロンドン警視庁捜査部に特別アイルランド部局が設けられた(中略)。その部局は、すぐにその監視の対象を、アイルランド人以外の外国人や無政府主義者、さらには社会主義者まで広げていた(中略)。1886年2月8日には、ウエスト・エンドで社会主義者による暴動も起きている。社会主義が自由主義のイデオロギーに対する脅威となっていたこの時代において(中略)工芸美術家であると同時に社会主義者であったウイリアム・モリスの名前は、アイルランド独立のための秘密結社の事務長の隠れ蓑にぴったりだったのである」

そういえば赤毛の質屋ウィルスンが、家主から引っ越し先と聞いた住所に訪ねていっても、そこには膝当てを作る工場があるだけだった。角田の卓抜な見解に接した後では、この膝当てを作る工場というあたりも、工芸美術家モリスに引っ掛けているようでニヤリとさせられる。
それにしても「赤毛連盟」という1編のミステリ小説の奥深さには驚かされる。赤毛の質屋に何らかの意味があることは分かるが、実在の同時代人ウイリアム・モリスまでがある意図を持って登場する。謎解きのメインストーリーの陰に、英国史から当時の社会情勢までを巧みに織り込むというコナン・ドイルの芸当に、しばし堪能させられた。(こや)


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2015/05/03 13:10 | コラム「たまたま本の話」

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