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2024/05/08 08:27 |
第58回コラム「ウィリアムとメアリー」といえば(ロアルド・ダール)

「ウィリアムとメアリー(William and Mary)」といえば――とインターネット辞典ウィキペディアは書き出している。「英語でいう場合、特定の個人のことでなければ通常、ウィリアム3世と妻のメアリー2世によるイングランド・スコットランド・アイルランドの3王国の共同統治を指す」と。つまり単に太郎と花子というだけでなく、それなりの象徴的な意味が付きまとっているらしい。
オランダのウィリアム3世とイングランドのメアリー2世は1677年に結婚している。従兄妹どうしの結婚であり、いわばオランダとイングランド両国による政略結婚であった。夫妻による共同統治は、メアリー2世の父に当たるイングランド王ジェームズ2世が、「名誉革命」と呼ばれるクーデターで追放された1689年2月に始まり、1694年12月のメアリー2世の死去まで5年以上も続いた。イギリスの長い歴史上、平等の権力を持つ君主同士の共同統治が認められた例はほかにないという。通常、君主の配偶者に君主権はなく、単なる配偶者でしかない。
名誉革命は、クーデターなのに「無血革命」「偉大なる革命」と呼ばれ、今もその功績がたたえられる。この革命によりイギリスのカトリックの再確立の可能性が完全に潰され、イングランド国教会の国教化が確定しただけでなく、権利の章典の発布により国王の権利が制限された。イギリスにおいて議会政治の基礎が築かれる契機になったとされる。今から思えば、この17世紀末はイギリス史のターニングポイントになった時代だといえるだろう。
冒頭からイギリス史をたどってきたのは、他でもない。20世紀イギリスの偉大な作家・ロアルド・ダール(1916~1990)に、タイトルもそのままの「ウィリアムとメアリー」という短編小説があるからである。かつて「異色作家短篇集」シリーズの1冊として刊行された「キス・キス」に収められた1編で、長らく作家・開高健による名訳で知られていたが、昨年、田口俊樹による画期的な新訳が出た(「キス・キス〔新訳版〕」、2014年5月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)。新訳刊行を機に、久々に読み返してみた。以下、ストーリーに触れるので未読の方はご注意を。
ウィリアムは癌で余命いくばくもない。死の直前、知人の神経外科医ランディの申し出を受け入れる。それはウィリアムの肉体が滅びても、ダメージの全くない脳と眼球を切除し、人工心肺につないで生きながらえさせるというものだった。いわば永遠の生命(意識と視覚)を彼は与えられることになる。実験は成功し、脳だけになったウィリアムと、残された彼の妻メアリーとの対面が実現する。しかし生前、横暴で口うるさかった夫に悩まされ続けた妻は、ウィリアムの眼球の前で煙草を吸って見せつける挑発行為に出る。
誰もが思い浮かべるように、ロシアのSF作家アレクサンドル・ロマノヴィッチ・ベリャーエフの名作「ドウエル教授の首」(1925年)を髣髴させる話である。高名な外科医が生首だけになって生きながらえるという先駆的なSF作品であるが、1950年代に「ウィリアムとメアリー」を書いたダールは当然、先行するベリャーエフ作品を意識していただろう。「ドウエル教授の首」は、ベリャーエフ自身が脊椎カリエスを発症し、6年間も寝たきりだった自らの療養体験が創作の基になっているとされる。1917年のロシア革命で生まれたソビエト連邦という史上初の社会主義国家の体制下で、ついに評価されなかった作家・ベリャーエフのルサンチマンも当然あったはずである。では1950年代のダールが「ウィリアムとメアリー」を書いた理由とは何か。
田口俊樹が「キス・キス〔新訳版〕」の訳者あとがきでこんな興味深い指摘をしている――「ダールの大人向けの短篇には夫婦が登場するものが多い。『あなたに似た人』では15篇のうち9編、本書では11篇のうち6篇がそうだ。(中略)1作以外はみな、O・ヘンリーの名短篇『賢者の贈り物』に出てくるような仲睦まじくも麗しい夫婦とは言えない夫婦ばかり」。「ウィリアムとメアリー」についても「読みどころはやはり夫婦像の可笑しさだろう。“横暴な夫”に“従順な妻”。まさに夫唱婦随。そんな夫婦の妻が(中略)最後に夫に意趣返しをするお噺である。ウィリアムにしてみればちょっと考えが甘かった、妻を舐めていた、ということになるのだろうが、いつまで続くかもわからない今後のことを考えると、ウィリアムがいささか気の毒に思えなくもない」と書いている。
この物語に「ウィリアムとメアリー」と名づけたのは、ダール特有のシニカルさの表れであると思わざるを得ない。イギリス史において唯一、3王国を共同統治した夫婦の名前をあえてタイトルに持ってきたのは、決して偶然ではないだろう。生前、暴君だった夫に従っていたが、その死後、夫に意趣返しをする妻の存在。実際の17世紀イギリス史では妻のメアリー2世のほうが先に死去するのだが、まさしくこれは皮肉屋ダールらしい、裏返しの「ウィリアムとメアリー」にほかならない。
今、ダールの略歴を調べていて驚いた。ノルウェー移民の両親のもとに生まれた彼が、第二次世界大戦でパイロットとしてイギリス空軍に従軍していたことは有名である。飛行機の墜落で重症を負いながらも、何とか生還したのだが、そのとき負傷した箇所が脊椎で、ダールは生涯、後遺症に悩まされたという。ベリャーエフも脊椎カリエスだったのは前述の通り。首と脳の違いはあるにせよ、死後も永遠に生き続ける話を書いた2人の作家が、ともに脊椎に不調を抱えていたことは興味深い。(こや)


ウィリアムとメアリーをWIKI PEDEIAで調べる

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2015/06/09 10:24 |
コラム「たまたま本の話」

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