第59回コラム彼らは隣人も撃ったか?(ホレス・マッコイ)

2013年に惜しまれつつ亡くなった小説家、エッセイスト、編集者の常盤新平は、数々の翻訳でも名を残した。ホレス・マッコイ「彼らは廃馬を撃つ」(原題THEY SHOOT HORSES,DON‘T THEY、1935年刊)の訳出もその一つ。翻訳は1970年に角川文庫から初版、1988年に王国社から改訂版が出ている。長らく絶版になっていたこの中編小説が、白水社「海外小説 永遠の本棚」シリーズの1冊としてこのたび復刊された(2015年5月刊)。
舞台は1935年、大不況のさなかのアメリカ。夢を抱いてハリウッドにやってきたが、エキストラの仕事にもあぶれてしまった若い男女が、1000ドルの賞金と、プロデューサーや監督など名士の目に留まるというかすかな希望に賭けて、マラソン・ダンスに参加する話である。男ロバート・サイヴァーテン(私)と、女グロリア・ビーティは、過酷なマラソン・ダンスをコンビで勝ち抜いていくが、最後、ロバートは自殺願望のあるグロリアをピストルで撃ち殺すという終幕を迎える。「なぜ女を殺したのだ?」と警官に聞かれた「私」は、「女に頼まれたからですよ」と答える。そして「廃馬は撃つもんじゃないんですか?」と付け加える。

マラソン・ダンスとは何か? 常盤新平は訳者あとがきでこう書いている。「マラソン・ダンスはダンス・マラソンともいう。この奇妙なコンテストは、どのカップルが一番長く踊りつづけるというより、一番長く生き残れるかを争うものだった。アメリカ全土の男女が蓄音機や3流4流の小さなバンドが演奏するフォックス・トロットのリズムに乗って、ふらふらになりながら踊ったのである」「これは、ジャズ・エイジと呼ばれ、狂爛の20年代と呼ばれる1920年代のアメリカの産物だった。麻雀とクロスワード・パズルとマラソン・ダンス、この3つは1920年代のアメリカを特徴づける娯楽である。(中略)マラソン・ダンスは1930年代にはいって、不況とからみあいながら、『彼らは廃馬を撃つ』の世界のようにグロテスクな様相を呈するにいたった」。

この小説は、1935年にクロスワード・パズルで当てたサイモン&シュスター社から出版された。当時は全く話題にならなかったが、第二次世界大戦後の1946年、急にブームに火がついた。母国アメリカではなく、フランスで評判が高まったというのである。さほど良い出来とも思えない無名のアメリカ人作家の処女作のどこが、文学好きのフランス人に評価されたのか? ホレス・マッコイは1948年のインタビューでこう語っている。「彼ら(フランス人)は私を実存主義の元祖と見ている。(中略)そして、私はそのことを証明する手紙をサルトルやほかの人たちからもらっている」。

人間描写や動機付けが見られないこの小説を、本人自らノーベル賞作家アルベール・カミュの「異邦人」のアメリカ版に見立てたということだろうか。まさに語るも語ったりという感じだが、ある一時期、「彼らは廃馬を撃つ」がジョン・スタインベックやアーネスト・ヘミングウェー作品並みの知名度をフランスで誇っていたことは紛れもない事実である。

ところで、今回書いておきたいことは別にある。作者のホレス・マッコイは、あの「ハットフィールド家とマッコイ家の争い」で有名なマッコイ家と関係があるのだろうか、という点である。ハットフィールド家とマッコイ家は、それぞれ1878年から1891年まで、アメリカ合衆国のウェストバージニア州とケンタッキー州にタグ・フォーク川を隔てて住んでいた。どちらもタグ渓谷に最初に定住した先駆者一家で、製造業と密造酒の販売に携わっており、南北戦争では南部連邦支持のゲリラ活動に従事していた。つまり双方ともにきわめて気性が激しい家系だったのである。
1878年、1匹の豚の所有権をめぐる論争が起こった。フロイド・ハットフィールドが豚を所持していたのだが、ランドルフ・マッコイはその豚が自分のものだと異議を唱えた。つまりは、土地または財産の境界線や所有権をめぐる論争であったわけである。この事件は裁判沙汰にまで発展し、両家の親族にあたるビル・ステイトンの証言でマッコイ家が敗訴した。1880年6月、証言台に立ったステイトンはサム・マッコイとパリス・マッコイ兄弟によって殺害されてしまうが、マッコイ家の兄弟は後に正当防衛を理由に釈放された。
ロザンナ・マッコイがジョンシー・ハットフィールドと恋に落ち、ウェストバージニア州側にある対立するハットフィールド家で共に暮らすために家出したことから、さらに争いはエスカレートした。1880年から1891年の間、両家による殺し合いは延々と続き、事件はアメリカ合衆国最高裁判所までも巻き込んだ。最終的に首謀者たちがケンタッキー州で裁判にかけられ、全員有罪の判決が下された。1人が公開絞首刑に処され、かくして両家の争いには終止符が打たれた。アメリカ史上に残るこの抗争は、転じて対立する相手との激しい争いを表す隠喩表現にもなっている。その後の文学や映画にも多くの影響を与えた。

「彼らは廃馬を撃つ」のホレス・マッコイは1897年、テネシー州ペグラムに生まれている。1891年にハットフィールドとマッコイ両家の抗争が収束してわずか6年後だ。しかもテネシー州はマッコイ家の住んでいたケンタッキー州と隣接する下側の州である。「彼らは廃馬を撃つ」を書く前の1920年代、マッコイはパルプ雑誌に安手のミステリー小説を書きまくっていたことが知られているが、出自はほとんど明らかにされていない。根拠のない憶測に過ぎないが、もしもホレスがあのマッコイ家の流れを組むとすれば、廃馬も撃ったかもしれないけれども、豚の所有権をめぐって隣人たちも撃った一族の子孫ということになる。(こや)

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2015/07/03 14:14 | コラム「たまたま本の話」

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