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2024/05/09 05:51 |
第60回虎の皮を被る話のルーツ(アルフレッド・エドガー・コッパード)

アルフレッド・エドガー・コッパード――通称A・E・コッパードは1878年、イギリスのケント州生まれ。9歳で父親を亡くし、小学校教育もまともに受けることなく職を転々とするなど苦労した。30歳近くになって文学と出会い、詩や短編小説の執筆を始める。第1短編集「Adam & Eve & Pinch Me」(1921年)が出たのは43歳のとき。1957年、79歳で没したが、きわめて遅咲きの作家であった。

このコッパードの名前が、日本の文学好きに知られたのは、今は無きサンリオSF文庫の巻末に載っていた「以下続刊」リストによってだろうか。
「エーイ・コパード『郵便局の蛇』荒俣宏訳」とあるのが笑わせる。京都大学文学研究家教授の若島正は、これを荒俣とサンリオSF文庫編集者とのやりとりが生んだミスだとしている。
打ち合わせのとき「A・E・コッパードを訳したい。仮題は『郵便局と蛇』です」と電話口で言った荒俣に対して、編集者が「エーイ・コパードの『郵便局の蛇』ですね。では近刊広告に出しておきます」という具合ではなかったか――若島はそう推測している(「サンリオSF文庫総解説」牧眞司、大森望編、2014年9月、本の雑誌社刊に所収の「以下続刊ベスト10冊」より)。

短編集「郵便局と蛇」は結局、サンリオSF文庫では刊行されず、1996年7月になって国書刊行会から「魔法の本棚」シリーズの1巻としてようやく出た(西崎憲編訳)。それが同題のちくま文庫に収められたのが2014年9月(短編1編を追加)。少し前の2009年12月には、コッパードの短編を集めた別の選集「天来の美酒/消えちゃった」が光文社古典新訳文庫で出ている(南條竹則編訳)。日本でのコッパード紹介が進んだのは、したがってわずかここ20年といったところだろう。

しかし、コッパードの短編のいくつかは、昔から数々の雑誌やアンソロジーに掲載されていた。特に有名なのは、「郵便局と蛇」でも冒頭に置かれた「銀色のサーカス」だろうか。原作「Silver Circus」が英誌に発表されたのは1927年。早くも1928年に鈴木謙一郎が、1929年に平井呈一が訳出している。以下、2014年のちくま文庫版から「銀色のサーカス」のストーリーを要約する。未読の方はご注意を。

荷物運搬人のハンスは、若妻のミッチに1年前、逃げられたばかり。ミッチは若い男ユリウスと駆け落ちしたのだ。ある日ハンスはサーカスの団長から仕事を頼まれる。死んでしまったサーカスの虎の代わりに、虎の皮を被り、虎の真似をして、1回だけ公演に出てほしい。謝礼は200シリング出す――と。しかしおいしい話には裏があった。虎がライオンと戦う公演だというのである。ライオンはもう相手を噛むことのできない老いぼれだという説得と、350シリングに吊り上がった報酬に引かれ、ハンスは虎になってライオンと戦うことを引き受ける。
公演当日、見物人の中に逃げた若妻のミッチを見つけて驚く虎のハンス。もっと驚いたのは相手のライオンも人間の言葉をしゃべったことだ。ライオンの皮を被っていた相手は、何と妻を奪ったユリウス本人だった。力自慢のハンスはユリウスに襲いかかり、首を絞めて殺してしまう。見物人は、ピクリとも動かないライオンを背に、虎が苦しげな嗚咽をもらすのを聞いた――。

滑稽さの中にもやり切れない切なさを感じさせる短編である。どこかで聞いた話だな、と思われた方は根っからの落語ファンであろう。「動物園」とか「ライオン」といった題目で演じられる落語が、この話とそっくりなのである。
口下手な男が、動物園で死んだ虎の皮を被って虎を演じる仕事を引き受ける。報酬は1日1万円。空腹のあまり、見物人の子供に思わず「パンをくれ」と呟いてしまうなど、ヘマもするが、順調に虎の役をこなしていた。そこに突然「虎とライオンの猛獣ショー」のアナウンス。うなり声を上げて近づいてくるライオンに「聞いてないよ」と、ビビる虎男。近づいてきたライオンは、しかし虎男の耳元でささやく――「心配するな、わしも1万円で雇われたんや」。

どうもこの落語は、上方の2代目桂文之助が明治時代末に自作自演したものらしい。
ちくま文庫版「郵便局と蛇」の訳者・西崎の解説には、さらに宇野浩二にもそっくりな話の短編小説(「化物」)がある、と書かれていた。ただし宇野の短編が雑誌に発表されたのは1920年、つまりコッパードの1927年よりもずいぶん早い。時間的に言えば、落語「動物園またはライオン」、宇野「化物」、コッパード「銀色のサーカス」の順である。が、これは誰が誰を真似した、という問題ではないと思う。西崎の解説にも「『ライオン』よりも演じられることの多い『死神』のように、祖型らしきものが世界中に散らばって存在する話なのだろうか?」という問いかけがある。たぶんそうなのだろう。

コッパード自身は「銀色のサーカス」について、「1926年にウィーンに滞在した時にドクトル・ヴィルヘルム・シュテケルなる人物から聞いた話がもとになっている。その話はワルシャワにいる時、彼が聞いたもので、あるサーカス団とふたりのユダヤ人が登場する」と、メモに書きつけているという。それをもって西崎は「やはりコッパードの話にも典拠があった」と指摘している。

しかし――ここで大胆な仮説を1つ。ウィキペディアのコッパードの項には、「日本へも大正の末ごろ、東洋旅行の途次、立ち寄ったことがある」と書かれていた。それが本当だとすれば、コッパードは大正時代末(つまり1920年代前半)の日本で「銀色のサーカス」執筆のヒントを得た、ということはないだろうか? つまり当時、寄席で盛んに演じられていた落語の「動物園」を聞いたことによって。(こや)


アルフレッド・エドガー・コッパードをWIKI PEDEIAで調べる

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2015/08/04 14:11 |
コラム「たまたま本の話」

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