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2024/03/28 18:34 |
第61回短編「お告げ」に影を落とすもの(シャーリイ・ジャクスン)

ミステリとSF出版の老舗、創元推理文庫の近年の好企画といえば、「18の奇妙な物語 街角の書店」であろうか。2015年5月に刊行されたばかりの短編アンソロジーで、編者は英米文学翻訳家の中村融。どんな内容の短編集かは、扉に書かれた次の惹句が教えてくれる――「江戸川乱歩の造語である<奇妙な味>とは、SFにもミステリにも分類不能な、異様な読後感を残す短篇を指す。本書には、ひねりの利いたアイデアストーリーから一風変わった幻想譚まで、多彩な味わいの18篇を収めた」。つまりこれは、「奇妙な味」の逸品ばかりを集めた傑作集なのである。
中村は、編者あとがきで偏愛する3編の小説を復活させたかったからこの短編集を編んだのだ、と書いている。その3編とは「肥満翼賛クラブ」「お告げ」「街角の書店」。いずれもかつて雑誌に訳載されたきり、書籍未収録だった作品である。
「肥満……」の作者はジョン・アンソニー・ウェスト。全く無名の作家で、中村が調べた限りでは、1961年から1980年にかけて本編を含めて6つの短編を発表したのみだという。「街角……」の作者はネルスン・ボンド。こちらも邦訳単行本が2冊あるが、いずれも児童書として出版されたものであり、著名な作家とは言いがたい。その点、「お告げ」を書いたのは、かのシャーリイ・ジャクスン(1916―1965)である。映画化もされた長編恐怖小説「山荘綺談」(「たたり」「丘の屋敷」の訳題もあり)などの作品で日本でも知名度は高いが、その割に邦訳本は少ない。「お告げ」も「奇想天外」誌の1974年1月号に訳載されたきり忘れ去られていた。以下、ストーリーに触れるので未読の方はご注意を。
1人のおばあちゃんが、思わぬ収入が入ったため、自分へのご褒美のほかに家族や孫に欲しいものをプレゼントしようとバスで買い物に出る。忘れるといけないので「カーネーション、ザ・サイン、青い猫、電話、指輪」と全員のプレゼントを書きつけたメモを持参する。しかしバスの中にこのメモを落としてしまう。それを偶然拾ったのが、おばあちゃんとは全く面識のない娘。娘には婚約者がいるが、母親に結婚を反対されていて、3年間も待ち続けた末、思いつめて家を飛び出してきたのだった。「カーネーション……」と書かれた見知らぬメモを見て最初はちんぷんかんぷんだったが、その言葉を何らかのお告げと考えて街を歩いていく。カーネーションを胸に差した男に声をかけられ、食料品店の看板(サイン)によって人違いに巻き込まれ、青い猫の軽食堂で食事をしているうちに、やがて決心がつき、婚約者に電話してプロポーズを受け入れる。婚約者が用意していた指輪を持参して娘の元に駆けつける途中、おばあちゃんと偶然すれ違うという落ちがつく。
ハートウオーミングな短編だが、忘れてはならないシーンがある。娘がたまたま赤い帽子をかぶっていたために、尋ね人に間違えられるくだりだ。高級食品店「マレーン兄弟商会」が、開店大売り出しPRで「本日この界隈を歩いている赤い帽子をかぶったミス・マレーンを探し出してきた方に100ドル相当の商品をプレゼントする」という企画を打つ。そのため娘はあちこちで「あなたはミス・マレーンですね?」と声をかけられ、取り囲まれ、腕をつかまれ、食品店に引きずっていかれるのである。そして別人だと分かったとたん、悔しさのあまり目の色が変わった集団に身の危険を感じて、娘はあわててその場から逃げ出すことになる。
この娘をめぐる描写から何かを連想しないだろうか。集団に襲われる若い女といえば――そう、ジャクスンの代表作とされる短編「くじ」の犠牲者の娘、テシー・ハッチンスンである。年1度の村の風習の日に当たりくじを引いたため、村人たちに囲まれて石を投げつけられるところで終わる衝撃的な名作「くじ」は、1948年6月発売の「ニューヨーカー」誌に掲載された。それから10年後。1958年3月号の「ファンタシー&サイエンス・フィクション」に発表された「お告げ」でも同様に、ジャクスンは集団に理由もなく襲われる恐怖を作品に忍び込ませているのである。
突飛な連想かもしれないが、これは1940年代後半から1950年代のアメリカに吹き荒れた赤狩りへの恐怖と無関係ではないように思われる。「くじ」が書かれる前年の1947年は、ハリウッドで米共産党活動についての調査が始まった年だった。チャーリー・チャップリンやジョン・ヒューストンらも対象となった。非米活動委員会に召喚された映画人たちが議会侮辱罪で有罪判決を受け、業界から追放された有名な「ハリウッド・テン」事件もこの年に端を発している。
ウィスコンシン州選出の上院議員、ジョセフ・レイモンド・マッカーシーが1950年2月9日に共和党女性クラブで行った講演で「私は国務省にいる共産主義者のリストを持っている」と述べてから、赤狩りは「マッカーシズム」の異名を持つこととなった。まさにこの時代のアメリカは熱に浮かされていたのだ。国家という赤狩り集団によって疑いをかけられ、四方八方を取り囲まれ、追放された共産主義者たちは、さながら当たりくじを引いてしまって石を投げつけられる村の娘のようなものだ。あるいは赤い(!)帽子をかぶっていたために人違いで襲われてしまう街の娘か。
シャーリイ・ジャクスンは文芸評論家の夫と結婚してヴァーモント州の田園地帯に居を構え、2男2女に囲まれながら小説を書いて暮らしたという。短くも幸せな49年の生涯だったろうが、のどかな田舎町にも赤狩りの空気が立ち込めていたとすれば、それが作風に影を落としたとしても無理はない。(こや)



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2015/09/07 14:03 |
コラム「たまたま本の話」

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