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2024/04/26 19:07 |
第69回 汝それをシャングリラと呼ぶか(ジェームズ・ヒルトン)

ポストモダン文学に詳しい評論・翻訳家の風間賢二が書いた「ジャンク・フィクション・ワールド」(2001年7月、新書館刊)は、古今東西の大衆小説について格好の道案内となる好著だが、第7章「失われた世界を求めて」の中にこんな指摘があるのに注目した。「本書(注:「失われた地平線」)の創作時期がふたつの世界大戦の狭間であったことを思うと、この<ロスト・ワールド>=<ユートピア>小説が叡智と礼節と中庸の精神を説いて、人類の滅亡の影に怯えていた英米の人々に希望と勇気を与えたことは容易に想像がつく」。

「失われた地平線」(原題:LOST HORIZON、1933年刊)は、言うまでもなくイングランドの作家ジェームズ・ヒルトンの代表作。英国領事、英国副領事、アメリカ人、東方伝道師の女性の4人を乗せた小型飛行機が操縦士に扮したハイジャッカーに乗っ取られる。チベットのある山頂に到着したところでハイジャッカーは急死。そこにこつ然と現れた中国人によって、4人は高峰の谷沿いにあるシャングリラという寺院に連れて行かれる。シャングリラに住む人々は普通の人々よりもずっと長生きで、歳をとるのが非常に遅い。元は18世紀初頭に宣教師が建てた僧院であったが、そこにラマ僧などが集まってきて、やがて図書館やセントラルヒーティングなど最新式の設備が整えられた場所になった。要するにここはただの僧院ではなく、世界中の知識や先端文化が集まる理想郷(ユートピア)となっているのである。

ヒルトンがこの小説を発表してから、シャングリラは架空の地名を超えて理想郷の代名詞となった。外界から隔絶されたヒマラヤ奥地のミステリアスな地上の楽園として、つまりは桃源郷に匹敵するような存在となったのである。この小説は2つの大戦の間に書かれている。したがってこれは戦争による世界の滅亡に危機感を持った人々に勇気を与えるユートピア小説である――と風間は位置づける。これはなかなかの卓見であろう。

風間はさらに第2次世界大戦後にロスト・ワールド小説が書かれなくなった理由を、ほぼこういった趣旨で説明している。第2次世界大戦におけるヒトラー独裁政権の台頭や広島、長崎への原爆投下による世界の変貌で、どこかに戦争のない楽園やユートピアが存在するという幻想が打ち砕かれたのではないか。また航海・航空技術の発達は、地球上から人跡未踏の秘境を無くしてしまい、スプートニクが打ち上げられてからは、ロスト・ワールドの舞台は他の惑星に移らざるを得なくなった。「したがって、『失われた地平線』は、19世紀に栄えた秘境冒険ロマンス<ロスト・ワールド>の伝統を継承する最後の作品と言えるかもしれない」と結んでいる。

なるほど、ロスト・ワールド小説の衰退とほぼ同時にスペース・オペラ小説が台頭してくることを思えば、その通りかもしれない。しかし――ちょっと突飛な思いつきをお許し願えれば、ロスト・ワールド小説は実は形を変えて現在も生き続けているのではないか。例えばイギリスのお家芸である学園小説というジャンルがある。英国のパブリックスクールなどに通う生徒たちの青春や、教師の生涯などが描かれる作品の総称で、「大転落」と邦題が付けられているイーヴリン・ウォーの処女作などが好例である。他ならぬジェームズ・ヒルトンがそのジャンルのとてつもない傑作を書いているではないか。「チップス先生、さようなら」(原題:GOOD-BYE,MR.CHIPS、1933年刊)である。まさしく、ここに出てくるブルックフィールド校がロスト・ワールドであり、主人公のチップス先生や生徒たちがシャングリラの住人のように思えるのだ。

今回、新潮文庫で白石朗による待望の新訳(2016年2月刊)が出たのをきっかけに、改めて読み返してみた。1870年、パブリックスクールの名門校とまではいかないが、それなりに伝統のあるブルックフィールド校に転任してきた平凡な教師チッピング(チップスはあだ名)の数10年間にわたる教師人生を描いている。同書解説を書いている杉江松恋によれば、「凡庸な学校に勤務する凡庸な教師は、決して自分の立場に腐ることなく、ただ実直に職分を果たし続け、何千人という生徒の教育に当たった。その胸に勲章が飾られることはなく、輝かしい名声とも一切無縁であった。しかし卒業生たちは彼の名を決して忘れず、それどころか彼こそがブルックフィールド校そのものであると見なすようにさえなっていった」ということになる。

チップスは65歳を迎えた1913年に教師を引退するが、その後もブルックフィールド校の近くの家に間借りして住み続け、1933年に亡くなる。1908年、60歳になったときには、当時のロールストン校長から「本校における職責を果たしておられない。教育方法も杜撰で旧態依然だ」と退職勧告を受けるが、生徒や理事会はチップスの全面的な擁護に回り、老教師は学校に残ることになる。ここにあるのは「叡智と礼節と中庸の精神」であろう。ミスター・チッピングは、すでに本人が意識する以上にミスター・ブルックフィールド校になっていたのである。
「チップス先生、さようなら」はかつて2回、映画化されている。映画は若い妻キャサリン(死別。以後チップスは独身を通した)とのロマンスを重視したドラマになっていたが、原作のポイントは時代から取り残されたような教師さえも受容し評価する、英国パブリックスクールの歴史と伝統のほうにあるだろう。チップスにとってブルックフィールド校はまさに理想郷であり、シャングリラだったのだ。(こや)



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2016/05/09 13:28 |
コラム「たまたま本の話」

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