第75回 再びノーベルの風に吹かれて(ボブ・ディラン)文学に関するコラム・たまたま本の話

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10月28日、米国の歌手ボブ・ディランが本年度のノーベル文学賞を受けることを表明した。同13日の受賞決定後、ずっと沈黙を守り続けてきたが、ようやく本人が受諾の意向を明らかにした。10月20日までの経緯は「たまたま本の話」特別編で書いたので、今回はその補遺と、続報を。
まずは補遺から。特別編で「ディランの文学賞と平和賞のダブル受賞」の可能性について言及した。ディランのこれまでの音楽活動は、むしろ平和賞こそふさわしい。しかし1回、取るのだって難しいノーベル賞の複数受賞――そんなことが果たしてあり得るのか。その点の補足をしたい。
実はこれまでに6例あるのである。最多は3回。赤十字国際委員会(スイス)が1917年、1944年、1963年に平和賞を受賞している。理由は「平和と人道支援活動への取り組み」。平和賞だけは団体の受賞が許されていて、優れた活動であれば、多国籍団体であろうが賞を受けられる。そのことを象徴するように、一国に属さない国連難民高等弁務官事務所が平和賞を2回、受賞している。1954年と1981年、理由は「難民の保護と支援の取り組み」である。
しかし興味深いのは、個人で2回受賞した例であろう。4人いる。マリ・キュリー(フランス)が1903年に「放射能の研究」で物理学賞を、1911年に「ラジウムおよびポロニウムの発見」で化学賞を受賞している。ライナス・カール・ポーリング(アメリカ)は1954年に「化学結合の本性ならびに複雑な分子の構造研究」で化学賞を、1962年に「核兵器に対する反対運動」で平和賞を受けている。ジョン・バーディーン(アメリカ)は1956年に「半導体の研究およびトランジスタ効果の発見」、1972年に「超伝導現象の理論的解明」で共に物理学賞を受賞。フレデリック・サンガー(イギリス)は1958年に「インスリンの構造研究」、1980年に「核酸の塩基配列の解明」で共に化学賞を受けている。
ノーベル賞創設初期に特有の例かと思ったら、1970~80年代にも複数受賞が見られるのだ。物理学賞や化学賞を2回というのは、前回以上に優れた業績を上げれば当然であろう。キュリーの物理学賞と化学賞も、自然科学3賞の範疇に入るから納得できる。特筆すべきは、ポーリングのように本来は量子化学者、生化学者でありながら、後年の反核運動が認められて平和賞を授与された例である。日本でも、「死線を越えて」などの文学作品を書いたキリスト教思想家で社会運動家の賀川豊彦が、共に受賞は逸したが1947~48年に文学賞の、1954~56年の3年連続で平和賞の候補に挙げられていたことがある。今年のダブル受賞はなかったが、ディランが今後、平和賞を授与されて何か不都合があるだろうか。しかしスウェーデンやノルウェーの思惑と、ディランのそれとはまた別である。
ここからは文学賞受賞の続報になるが、ディランには、あるいは受賞辞退かという見方も出ていた。何しろ17日にはディランの公式ウェブサイトから「ノーベル文学賞受賞」の表記がなぜか削除されたし、スウェーデン・アカデミーも本人への直接連絡を断念した。沈黙を続けるディランに対して、「選考委員の一人であるアカデミーのペール・ウェストベリ氏は21日、地元公共テレビで『無礼で傲慢だ。こんなことは前例がない』と不快感を示した」(読売新聞10月23日付首都圏版朝刊より)という。
このウェストベリは選考委員の中でも重鎮的存在で、2012年3月には「安部公房は1993年に急死しなければ文学賞を受賞していたでしょう。非常に、非常に近かった」と、読売新聞のインタビューでペロッとしゃべってしまった人物である(候補者については50年間、秘匿されるのが原則)。重鎮がここまではっきり「傲慢だ」と言い切るのだから、それがアカデミーの総意を代弁していることは間違いない。選考委員たちのほとんどは、ディランから「受諾」か「辞退」か、いずれの連絡もないことに苛立っていたのである。
それから数日後の28日、ディランはアカデミーに自ら電話を入れた。その様子は各メディアで伝えられた通り、それまでの沈黙が嘘のような受賞歓迎の言葉であったという。読売新聞30日付首都圏版朝刊によれば、こんな具合だ。長いが引用する。
「発表によると、ディランさんはこの週、文学賞を選考したスウェーデン・アカデミーに電話し、『賞を受け入れるかって? もちろん。大変光栄だ』と答え、『受賞のニュースで言葉を失ってしまった』と説明した。アカデミーは、ディランさんが授賞式に出席するかどうかについては『まだ決まっていない』としている。ただ、ディランさんは英紙デイリー・テレグラフ(電子版)に対するインタビューで『もちろん。可能なら』と出席の意向を示唆した」
音楽と言葉で仕事をしているシンガーソングライターが「言葉を失ってしまった」とは驚くが、さらに驚くのは記事のそれに続く部分である――「アカデミーは今月13日に今年の文学賞を発表したが、ディランさんは約2週間にわたって沈黙を続け、直接の連絡をとることもできなかった。ディランさんは同紙が理由を尋ねたところ『私はここにいるよ』とだけ語ったという」。
「私はここにいるよ」は質問の回答になっていない。彼は2週間の間、コンサート会場にもいたし自宅にもいただろう。どうするのか、アカデミーに連絡を取れなかったはずはない。おそらくディランは辞退するつもりだった。周囲の説得もあり、受諾することになったのだと思う。ここには2週間にわたる「文学者ならではの葛藤」が読み取れるのではないか。(こや)

「ノーベル文学賞「文芸共和国」をめざして 」

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2016/11/06 16:01 | コラム「たまたま本の話」

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